ハイヒールリンゴさんの不妊・妊活情報!【妊活した有名人】
体外受精の回数は、実に17回にもなったハイヒールリンゴさん
ハイヒールリンゴさんは、よしもとクリエィティブ・エージェンシーに所属する女性漫才コンビ「ハイヒール」のメンバーの一人で、本名は「美村 美紀(みむら みき)」です。1961年生まれで、大阪府枚方市出身、「ハイヒール」ではツッコミを担当しています。
そんなハイヒールリンゴさんも不妊に悩んでいた芸能人の1人です。
ハイヒールリンゴさんの芸歴
「ハイヒール」は1983年6月に、大阪のなんば花月下席の「フレッシュコーナー」で初舞台を踏み、その当時に吉本興業が付けた売り込みのためのキャッチコピーは「女子大生と元スケバン」だったそうで、その後、このキャッチコピーは彼女らの漫才のネタに使用されています。
1986年には、NHKドラマ人間模様にて、「ハイヒール」を取材した連続ドラマである「ふたりぼっち 女と女」(主演:秋野暢子・遥くらら)が放送され、向田邦子賞にノミネートされています。また、「ハイヒール」というコンビ名の由来として、ハイヒールリンゴさんは「両方在って初めて靴として成立する。片一方だけではダメ。」との理由で決めたと話しています。
ただ、実際はハイヒールリンゴさんの相方であるモモコさんが所属していた暴走族である「レディースレーシング・ハイヒール」からとったものであるようです。
読売テレビの「あさパラ!」のコンビ結成30周年記念企画では、コンビでの南極旅行を体験し、その際に南極大陸上で漫才を敢行したため、「世界最南端での漫才」という記録を打ち立てました。
「ハイヒール」はNSCの1期生であり、その同期としては、ダウンタウン、トミーズ、内場勝則さん、前田政二さんらがいます。
ハイヒールリンゴさんは、十代の頃からラジオが好きで、芸能界に入ったのもラジオのパーソナリティの仕事がしたいためであったため、その影響によるものか、どんなに早口で喋っても嚙むことが無いそうです。
また、デビューしてから現在まで、ラジオの仕事が途絶えたという時期が無いそうです。
「リンゴ」という芸名の由来は太刀掛秀子の漫画の主人公名前「リンゴ」からとっており、吉本の女性芸人のなかでも随一の格闘技・プロレスオタクでもあります。
2015年には、國定浩一さんの下で聴講生として金融論を学び、その知識を元に経済学を分かり易く解説していた活動が評価され、大阪学院大学の名誉博士を授与されています。
そんなハイヒールリンゴさんは、1995年に一般男性と結婚
しかし、なかなか子宝に恵まれなかったため、不妊治療を開始します。2002年12月7日には、不妊治療に専念するため、2003年1月から芸能活動を休業することを報告しており、この時点では休業期間は3ヶ月~半年程度の予定であったようです。
そのため、「妊娠したらすぐに仕事します」という産休とは反対である「できちゃったら即復帰」の約束もしていました。
しかい、そううまくはいかず、不妊治療は長引いてしまい、その治療期間中に行った体外受精の回数は、実に17回にもなったそうです。
不妊の原因についての確実な情報は見つかりませんでした。
ハイヒールリンゴさんは、体外受精という不妊治療を受けていたことはわかっていますが、その不妊の原因についての確実な情報は見つかりませんでした。
男性側の不妊の原因としては、無精子症等があり、女性側の原因としては、排卵因子、卵管因子、着床因子、年齢因子、子宮内膜症等の原因が考えられます。
排卵因子としては、PCO(多嚢胞性卵巣症候群)に代表される、排卵に導くホルモンの分泌が不調になることや、LUF(黄体化未破裂卵胞)に代表される、卵胞の破裂が起こらずに卵巣で卵胞がうまく発育しないことが考えられます。
卵管因子としては、卵管が閉塞している場合等で、卵子が取り込まれない状態で受精ができないということがあります。
着床因子としては、内膜ポリープ、黄体機能不全子宮筋腫、子宮内膜が薄い、子宮腺筋症等によって着床がうまくいかないことがあります。
年齢因子としては、30歳を超えると年に数%ずつ機能が下がり、35歳以上になると急に下がる卵子、子宮の老化が考えられ、特に卵子の老化が注目されています。
不妊原因が特定できない、原因不明の不妊というケースもあります。
子宮内膜症は、子宮内膜組織が子宮内宮以外にできるもので、不妊症、月経痛、性交痛の主な原因と見られ、不妊女性に高い確率で確認されますが、子宮内膜症を患っていても妊娠するケースもありますので、本当に不妊の原因となっているのかは、まだはっきりとわかっていないようです。
また、これら以外にも不妊原因が特定できない、原因不明の不妊というケースもあります。
ハイヒールリンゴさんの場合、体外受精を17回も実施されているということから考えると、排卵か卵管の問題だったのかなと推測され、また、結婚当時に既に34歳だったという年齢から、年齢因子による不妊ということも考えられます。
残念なことに子供を授かることはかないませんでした。
結局、ハイヒールリンゴさんは、これだけの努力をしてきたにも関わらず、残念なことに子供を授かることはかないませんでした。
現在は芸能界に復帰し、芸能活動を続けながら、不妊治療の経験者として、これから不妊治療を始める人や不妊治療中の方のために、保険や助成金について、国に対し改善希望の意見を述べるような活動をいているようです。
また、ハイヒールリンゴさんは不妊治療に関して、「やるだけやった、だから後悔は無い。
休業するというわがままを許してくださった周りの方々に心から感謝申し上げます。
「この体験は是非本にまとめたい。」と語っています。
結果として子供を授かることができなくても、自分が納得するまで治療を続けるということが大切なのだなと感じました。