釈由美子さんの不妊・妊活情報!排卵障害を乗り越えて。【妊活した有名人】
不妊治療・妊活を乗り越えての妊娠・出産した釈由美子
釈由美子さんは、トミーズアーティストカンパニー所属の日本の女優・タレントです。
また、元グラビアアイドルで実業家でもあります。釈由美子さんは、37歳という高齢で出産されましたが、医師から以前より排卵障害を診断されていたそうです。
そのため、不妊治療・妊活を乗り越えての妊娠・出産となりました。
釈由美子さんの芸歴、経歴
釈由美子さんは、1978年6月12日に釈家の4姉妹の次女として誕生し、出身は東京都清瀬市もしくは埼玉県所沢市となっています。
吉祥女子高等学校を卒業後、学習院女子短期大学に進みますが、同校を中退しています。
芸能活動としては、テレビ番組の「ゴールドラッシュ!」落選後、1997年、学習院短期大学在学中に漫画雑誌である「週刊ヤングマガジン」の「Missキャンパスグランプリ」に選ばれます。
1999年には、テレビドラマ初出演を「ツインズな探偵」で果たし、同年の10月にはメディアリングからマキシシングル「セカンドチャンス」をリリースしています。
2000年には、宇部興産キャンペーンガール、第1回スイムスイーツグランプリ2000フレッシュ部門に選ばれました。
翌2001年には、映画初主演を「修羅雪姫」で果たし、同年5月には、釈由美子さん自身が作詞した楽曲「ドラマティックに恋をして」を zetima移籍第1弾シングルとしてリリース。
さらに、2001年度雑誌愛読月間イメージキャラクターを務め、第38回ゴールデン・アロー賞グラフ賞を受賞しています。
2002年には、映画「ゴジラ×メカゴジラ」の主演を務め、翌2003年にはテレビドラマである「スカイハイ」でも主演しています。
2012年2月には、芸能武道十二騎神道流の昇段試験に合格し、道士初段位となったため、黒帯を獲得しています。
ただ、2013年1月5日、NHKで同月25日放送の「首都圏スペシャル」の収録中、新潟県のスキー場にて、自身初挑戦のバックカントリースキーのさなかに転倒し、左足関節外果骨折と左ひざの靱帯損傷で全治2カ月のケガを負ってしまいます。
しかし、同月7日のドラマ収録に松葉杖をつきながら仕事に復帰しています。
2015年10月10日に、レストラン等を経営する実業家と結婚したことが、同月13日に報じられ、釈由美子さん自身もオフィシャルブログにて入籍した事実を報告しています。
2016年1月15日に第1子妊娠を報告し、同年の3月13日に挙式・披露宴を行い、釈由美子さん自身の誕生日にあたる6月12日に第1子男児を出産しています。
釈由美子さんは、妊娠発表時に「多嚢胞性卵巣症候群(PCOS)」という排卵障害を患っていたことを告白しました。
釈由美子さんが初めて「PCOS」と診断されたのは、酷い肌荒れの治療のために訪れた、婦人科での女性ホルモン検査を受けた30代の頃だったそうです。
その頃は生理不順もあって、半年以上、生理が来ないということもあったそうですが、それは20代の頃に大きな仕事のストレスとプレッシャーから、過激なダイエットを繰り返し、40キロを切るぐらいまで激痩せしていた時期があったので、その影響によるものだと思い込んでいたそうです。
ただ、その婦人科での診断の結果が「PCOS」という聞き慣れない病名であったので、不安を覚えたとのことでした。
婦人科では低用量ピルを勧められたそうですが、当時は抵抗感があったため、服用をやめて、いろいろ調べて体質改善に励んだそうです。
健康な体を目指して食生活を見直し、玄米菜食の和食メインの料理へ。
まず、食生活を見直し、玄米菜食の和食メインの料理を作るようにして、3食バランスよく食べるようにしたところ、体重が自然と増え、激痩せとリバウンドを繰り返していた、不安定な20代の頃とは比較にならないぐらいの安定した心と身体に変化していく自分を実感したそうです。
運動もハードなワークアウトからホットヨガやストレッチ等に変えたことで、身体を温めてリラックスしながら続けられる様になったとの事です。
また、体温を上げるために「温活」を意識して、体温を上げる根菜類や生姜を取り入れた食事を積極的に摂るようにしたり、酸素風呂や半身浴で身体を温めたりしたそうです。
さらに、身体の歪みをとってから巡りをよくする治療を受けるために、気功や整体、鍼灸治療院にも通ったそうです。
そうした努力の結果、自力で生理が復活したそうです。
勇気を出して婚約者(現在の夫)に全て伝えたそうです。
ただ、子宮頸がん検診で訪れた婦人科で、生理が無排卵月経であることと、「PCOS」がまだ続いていることを知らされたそうです。
とても気が重くなったそうですが、勇気を出して婚約者(現在の夫)に全て伝えたそうです。
婚約者は最初は驚いたそうですが、とても応援してくれたそうで、前向きに不妊治療に取り組むことができたと語っています。
不妊治療としては、排卵誘発剤の服用を始め、基礎体温等と照らし合わせながらのタイミング療法を行ったそうです、そして、その結果、妊活を開始して2週目に妊娠が判明したとのことです。
このような話を聞くと、「PCOS」は薬で簡単に治るように思えるかもしれませんが、釈由美子さんのケースはとても幸運なケースであり、なかには、同じ病気で半年や1年治療を行っても妊娠に至らない患者さんもたくさんいるようです。
「PCOS」という病気は体質のようなものであり、薬で一時的に改善できたとしても、薬を飲み見続けない限り、また「PCOS」の戻ってしまうという方も多いという病気です。
釈由美子さんがこの病気を告白したのは、妊娠を望むたびに排卵誘発剤の使用が必要となることをネガティブに捉えるのではなく、前向きに「病気と付き合うこと」の大切さを伝えたかったのではと思います。
不妊症の方には、その原因がわかる方もわからない方もいて、人それぞれですが、妊娠という奇跡を信じて頑張り続けて欲しいというエールを、釈由美子さんは送っているように感じます。