穴井夕子さんの不妊・妊活情報!人工授精で妊娠。【妊活した有名人】
子宮内膜症が発覚し、不妊治療を行った穴井夕子さん
穴井夕子さんは、1974年6月7日生まれで、大分県玖珠郡玖珠町出身の日本の女優・タレントです。
本名は「横田 夕子(よこた ゆうこ)」であり、血液型はA型、夫はプロゴルファーのである横田真一さんです。
そんな穴井夕子さんは、2000年6月に結婚した後に子宮内膜症が発覚しましたが、不妊治療を行い、病気を克服しています。
穴井夕子さんの経歴、芸歴
穴井夕子さんは、日出女子高等学校を卒業後、亜細亜大学に進みますが、同大学を中退しています。
1988年、第2回全日本国民的美少女コンテストに出場し、11万人の応募者の中から最終選考まで進出。
同大会の優勝者は細川直美さんでしたが、最終選考まで進出したことが関係者の目に留まり、芸能界への第一歩を踏み出します。
1989年には、1986年に日本テレネットが発売した、横視点スクロールのアクションゲーム「夢幻戦士ヴァリス」の主人公である麻生優子にちなんだ、イメージガールコンテスト「ミス優子」に参加し、審査員特別賞を獲得します。
1990年、東京パフォーマンスドール(TPD)に参加し、その同期には、市井由理さん、篠原涼子さんら
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がいます。TPD在籍中から、ラジオ番組のDJを担当したり、テレビのバラエティ番組に出演したりしていましたが、1995年に同ユニットを卒業します。
TPD脱退後には「ORANGE」というJUDY AND MARY風のロックバンドを結成し、活動の幅をさらに広げていきます。
2000年6月にプロゴルファーの横田真一さんと結婚し、不妊を乗り越え2児の母に。
前述の通り、2000年6月にプロゴルファーの横田真一さんと結婚し、その後、子宮内膜症、ホルモンバランスの崩れ等が発見されますが、治療により克服し、人工授精により妊娠しました。
2002年11月21日に長男を無事出産。
その後も、子育ての傍ら、各種イベントやテレビ番組への出演、執筆活動等、多方面で活動を行っています。
さらに、その後、2007年3月26日午前3時43分、2858gの女児を出産しました。
2010年10月11日、「キャノンオープンゴルフトーナメント」にて、夫・横田真一さんが、結婚後初となる13年ぶりのツアー優勝を果たして、涙ながらに夫婦で抱擁する写真が掲載されました。また、2012年11月15日に、オフィシャルブログを開設しました。
穴井夕子さんはもともと生理が重く、痛み止めの薬が無ければ立っていられないほどに重たい生理が、高校生の時から続いていたそうです。
そんなこともあったため、穴井夕子さんは、結婚が決まった24歳の時にブライダルチェックを受けたそうなのですが、その時に自分が子宮内膜症であり、妊娠しづらい体質であるということも発覚したとのことです。
さらに、穴井夕子さんは、ホルモンバランスが悪く、高プロラクチン血症と視床下部性排卵障害も併発しており、自然妊娠する確率は低いものとなっていたようです。
子宮内膜症とは、子宮内膜もしくはそれと似た組織が、子宮内膣以外の部位に発生してしまい、女性ホルモンであるエストロゲンの刺激を受けて増殖していく疾患となっています。
大部分の子宮内膜症は骨盤内に発生し、その病変部は月経時において、子宮内膜と同様に剥がれて出血します。
卵巣内で増殖した場合、毎月、卵巣にチョコレート状になった古い血液がたまって大きく膨れてしまいます。
これを、チョコレート嚢胞と呼んでいます。
子宮内膜症は生殖年齢にある女性の10~15%に存在するといわれています。
ただ、最近は増加傾向にあり、その理由としては、初婚年齢・初産年齢が上がっていること、腹膣鏡検査が進んだことによって診断能力が向上して、病気が見つかりやすくなったこと、出産回数の減少等が挙げられています。
子宮内膜症の主な症状は、疼痛と不妊であり、日本では子宮内膜症女性の約90%が月経困難症を訴えています。
疼痛の症状において、月経時以外の下腹部痛は約50%、性交時痛・排便痛は約30%にみられ、一般的に病気と疼痛の程度とは関連は少ないとされています。
そして、子宮内膜症は卵管周囲の癒着によって、卵の捕獲や輸送が損なわれるようになれば、不妊の原因にもなってしまいます。
穴井夕子さんは子宮内膜症で悩んでいる時、生理を止めないで、不妊治療に専念するか、薬で整理を一旦止めて、子宮内膜症を完全に治療してから妊娠を目指すか、という2通りの治療方法が示されたそうです。
そこで穴井夕子さんは、生理を止めずに不妊治療に専念することを選びますが、そこからの2年間は相当辛い思いをされたそうです。
前述の通り、穴井夕子さんは、もともと生理が重たいうえに、不妊治療に専念するためにその重たい生理を止めないので、その生理痛が尋常な痛さではなく、辛い日々が続いたとのことです。
そんな辛い日々に耐えかねて、不妊治療を断念しそうになった時もあったようですが、待望の妊娠が発覚した際には、そんな辛さもすべて吹き飛んだと、後に穴井夕子さんは語っています。
また、不妊治療法としては人工授精による妊娠で、現在では2度にわたる妊娠出産を経たことで、穴井夕子さんの子宮内膜症の症状は、だいぶ緩和されたそうです。
穴井夕子さんは、「もっと早く結婚前にきちんと婦人科で診てもらっていたら、独身のときに排卵を薬で止めて治療し、もっといい状態で赤ちゃんを産むことができたかもしれません。」と語って後悔しています。
そして、これから妊婦になるであろう女性の方々へは、ちょっとでも不安があったら、すぐに婦人科に行くようにすすめているとのことです。
特に穴井夕子さんのように、生理が重たいという方は子宮内膜症の疑いがあります。
妊娠に関しても重要な症状ですが、健康そのものにとっても悪影響が強い症状でもあるため、早めにしっかりと治療するようにしましょう。