セリーヌ・ディオンさんの不妊・妊活情報!【妊活した有名人】
不妊治療を経て双子を出産したセリーヌ・ディオンさん
セリーヌ・ディオンさん(セリーヌ・マリー・クローデット・ディオン、仏名:Céline Marie Claudette Dion)は、1968年3月30日生まれのカナダ人女性歌手です。
セリーヌ・ディオンさんは、24歳年上でマネージャーでもあるレネ・アンジェルリさんと結婚し、33歳のときに第1子を出産し、その後、双子を出産されていますが、その際に不妊治療を経験されているようです。
セリーヌ・ディオンさんの経歴・芸歴は?
セリーヌ・ディオンさんは、カナダのモントリオール郊外のケベック州シャルルマーニュのフランス系カナダ人の大家族に生まれました。
セリーヌ・ディオンさんは、幼少より類まれな才能を発揮しており、その頃、音楽マネージャーであったレネ・アンジェリルさんと出会います。
レネ・アンジェリルさんは、自宅を担保としてセリーヌ・ディオンさんのデビューアルバムの発売資金を調達するほど、セリーヌ・ディオンさんの歌声と才能に惚れ込みます。
そして、1981年に発売されたフランス語のファーストアルバムにより、セリーヌ・ディオンさんは、瞬く間にケベックにおけるトップスターの地位を獲得します。
ちなみにファーストアルバム発売後には、数多くのツアーの誘いがありましたが、マネージャーのレネ・アンジェリルさんは「この才能をつぶすわけにはいかない」という理由で、その全ての誘いを断ったそうです。
1982年、セリーヌ・ディオンさんは、「第13回ヤマハ世界歌謡音楽祭」への出場のために初来日し、同音楽祭で金賞に輝いています。
また、1984年には、最年少でパリのオランピア劇場に出演、1988年にはユーロビジョン・ソング・コンテストにおいてスイス勢として32年ぶりに優勝する等、数多くの国際コンテストを総なめにしていきました。
1991年には、初の英語アルバムとなる「ユニゾン」を発売。世界的なスターへの道を歩み始め、アトランタオリンピックの開会式では、「パワー・オブ・ザ・ドリーム」を歌いました。
また、「タイタニック」、「美女と野獣」等の数多くの映画にサウンドトラックを提供し、その世界的な地位を不動のものとしていきます。
マネージャーのレネ・アンジェリルさんと結婚
1994年、セリーヌ・ディオンさんは、初の来日公演を行い、同年の12月17日にはマネージャーのレネ・アンジェリルさんと結婚します。
日本では、「トゥ・ラブ・ユー・モア」がフジテレビ系列のドラマ「恋人よ」の主題歌に使われたため、130万枚以上を売り上げる大ヒットとなりました。
ちなみにこの曲には、日本のニューエイジ・ミュージックバンドであるクライズラー&カンパニーも参加しており、この縁で1996年からのセリーヌ・ディオンさんのワールドツアーに葉加瀬太郎さんが参加することとなります。
1995年に発売された、フランス語によるアルバムである「フレンチ・アルバム」がフランス国内で歴代最高売上記録となる、400万枚を超える売り上げを記録しました。
この功績により、セリーヌ・ディオンさんは、1996年にフランス政府より芸術文化勲章を授与されます。
1997年には、日本全国6都市10公演のアリーナツアーとなった、2度目の来日公演を行いました。
1998年には、カナダ勲章、ケベック国家勲章を受勲。1999年には、日本全国3都市5公演のドームツアーとなった、3度目の来日公演を行いました。
そして、「ザ・ベリー・ベスト」というベストアルバム発売と同時に、セリーヌ・ディオンさんは、個人的な理由により活動休止を発表します。
2002年、アルバム「ア・ニュー・デイ・ハズ・カム」で復帰し、2003年には長期公演A NEW Dayがラスベガスのシーザーズ・パレス・コロセウムからスタートします。
2005年1月6日、スターの名前を刻んだハリウッド名声の歩道(The Hollywood Walk of Fame)にセリーヌ・ディオンさんは2244人目の仲間入りをします。
ちなみに、この時点でのセリーヌ・ディオンさんのCD等のセールスは約1億5千万枚を超えていたそうです。
2007年1月、エンターテイメント界で活躍する女性で資産の多い女性トップ20を、アメリカの経済誌フォーブスが発表し、セリーヌ・ディオンさんは総資産303億円で5位にランクインしました。
2007年11月7日には、アルバム「Taking Chances」を日本先行でリリースし、2008年には9年ぶり4度目となる来日公演を、東京・大阪で全4公演のドームツアーで行いました。
2014年11月11日~19日に5度目の来日公演が予定されていたが、夫でマネージャーでもあるレネ・アンジェルリさんの看病や家族との時間に専念するため、また、セリーヌ・ディオンさん本人も喉に炎症が起きる病気が完治していなかったため、来日公演の全てが中止となってしまいました。
これに伴い、アジアツアーの全日程も中止となり、7月29日からラスベガスで予定されてい公演も無期限中止となりました。
2015年8月27日、ラスベガスのシーザーズ・パレスのショーからセリーヌ・ディオンさんは復帰しましたが、2016年1月14日に夫でマネージャーだったレネ・アンジェリルさん、その2日後に兄を亡くしています。
セリーヌ・ディオンさんは、33歳の時に体外受精で妊娠
セリーヌ・ディオンさんは、33歳の時に体外受精で妊娠していますが、その際に5回も体外受精に失敗しているそうで、その頃は身も心もボロボロだったとのことです。
その経験からか、33歳の時に体外受精での凍結胚を保存しておいたそうで、この時に採取した受精卵を用いて6年後に再度体外受精を行って妊娠されたそうです。
そのため、2回目の出産に関しては、42歳での出産でしたが、受精卵に関しては33歳当時のものとなります。
このように若いうちに受精卵を凍結させておくということは、海外では多く見られる不妊治療のようです。
実はその双子はお腹の中では3つ子であった
ただ、セリーヌ・ディオンさんは2回目の出産で双子を出産されましたが、実はその双子はお腹の中では3つ子であったと、後にインタビューで答えています。
その時は、
「体外受精をして、息子を3人授かったの。けれども3人では十分な成長が確保できないため彼は兄弟にその生を譲ったの。」
と、語っています。
セリーヌ・ディオンさんにとっては苦渋の決断だったと思いますが、母子ともに健康で無事に双子を出産できたのは本当に良かったと思います。
これからも順調にすくすくと育っていってほしいと思います。