石田ひかりさんの不妊・妊活情報!【妊活した有名人】
子宮内膜症を克服しての妊娠・出産だった石田ひかり
石田ひかりさんは、本名を訓覇 光(くるべ ひかり)といい、日本の女優です。
姉は同じく女優の石田ゆり子であり、その姉が社長を務めている「風鈴舎」という個人事務所に所属しています。
今現在は2人の女の子に恵まれ、子育てに奮闘中である石田ひかりさんですが、そこまでに至る道のりは過酷なものだったようで、不妊症の1つである子宮内膜症を克服しての妊娠・出産だったようです。
石田ひかりの経歴、芸歴
石田ひかりさんは、1972年5月25日生まれで、日本の東京都出身、両親は転勤族であり、兵庫県西宮市で3歳まで暮らしていました。
小学校に在学中の際、父が勤務する日本郵船の仕事の関係上、台湾で数年を過ごしましたが、水泳が得意であった石田ひかりさんは、台湾に在住している時に現地の水泳大会で優勝し、現地の新聞に載ったという経験を持っています。
台湾からの帰国後、芸能プロダクションのボックスコーポレーションにスカウトされ、芸能活動を始め、姉であるゆり子もほぼ同時に同社と契約しています。
ただ、当初は姉妹とは知らずに、別の場所でスカウトされていたようです。
石田ひかりさんは1987年5月、シングル「エメラルドの砂」で、テイチクからアイドル歌手としてデビューし、その後、シングル10枚、アルバム5枚を発売します。
花王「ピュア」シャンプーのCMイメージソングとなった「くちびるハート2」や「恋は確率51%」等が代表曲となっていますが、本人は後に、この15~18歳までのアイドル歌手時代は「全く売れなかったですけど」と語っています。
芸能活動そのものを始めたのは、レコード・デビューよりも少し早く、1986年に日本テレビ系列の「妻たちの課外授業Ⅱ」に出演し、また、アシックスのCM等にも出演していました。
アイドル歌手時代は1988年に「花のあすか組」、1989年に「ママハハブギ」といったテレビドラマにコンスタントに出演しており、テレビの芸能人水泳大会等でも活躍していました。
石田ひかりさんは、芸能活動と並行して堀越高等学校から亜細亜大学法学部へ進学し、大学の卒業論文は少年法に関するものであったため、少年事件の裁判の傍聴にもよく行っていたそうです。
大学卒業後は、二松學舍大学大学院文学研究科国文学専攻博士前期課程(修士課程)を修了し、その修士論文は「恋する言の葉-平安のキムタク・光源氏に愛された末摘花に学ぶ理想の女性像-」というものでした。
1991年には、「さびしんぼう」等の尾道三部作で知られる大林宜彦監督の映画「ふたり」に主演、さらに1993年には「はるか、ノスタルジィ」に主演したことで、石田ひかりさんは、女優として大きく飛躍することになりました。
1992年、テレビドラマ初主演を読売テレビ「悪女」で果たし、その後もフジテレビ系列の「あすなろ白書」でも主演を務めます。
また、NHKでは、連続テレビ小説「ひらり」で大相撲が大好きなヒロインを演じ、1992年と1993年の2年連続で「NHK紅白歌合戦」の紅組司会を努めましたが、いずれの年も優勝旗を手にすることはできませんでした。
NHK職員の訓覇 圭さんと結婚し、幼児期に住んでいた西宮市に一時在住します。
2001年5月、石田ひかりさんは、当時NHK大阪放送局のディレクターであった、NHK職員の訓覇 圭さんと結婚し、幼児期に住んでいた西宮市に一時在住します。
2003年には、NHK制作の連続ドラマシリーズである「かるたクィーン」に出演、同年5月31日には長女を出産しています。
その後、訓覇 圭さんの東京への転勤に伴って東京へ戻り、2005年1月23日に自宅で次女を出産します。
そして、2010年3月からは、鎌倉に在住しているようです。
そんな石田ひかりさんが子宮内膜症になったのは、不妊で悩む前の若い頃だったようです。
そして、自身が忙しくなり、超過酷なドラマ撮影等を続けていたため、25歳頃には子宮内膜症が悪化してしまい、入院を余儀なくされてしまったとのことです。
ただ、このように早期に入院して子宮内膜症の治療を開始することができたため、不妊に悩む前に子宮内膜症の治療が完了できたのはよかったのではないでしょうか。
この子宮内膜症とは、子宮内膜あるいはそれと似た組織が子宮内膣以外の部位に発生してしまい、エストロゲンという女性ホルモンの刺激を受けて増殖してしまう疾患となっています。
子宮内膜症は、骨盤内に発生するものがほとんどであり、月経時にその病変部分が子宮内膜と同じように剥がれて出血し、卵巣内で増殖すると、チョコレート嚢胞という卵巣にチョコレート状になった古い血液がたまって大きくなったものを形成します。
最近では、松浦亜弥さんがこの子宮内膜症を発症し、芸能活動を中断してしまうほど辛い病気であり、石田ひかりさんの場合は、痛みをこらえることができずにその場にうずくまってしまうほどだったそうです。
MRIや血液検査、超音波検査等で診察した結果、血液が逆流して炎症を起こし、左の卵巣がぽっかりと腫れあがって癒着を起こしてしまうほどまで悪化してしまっていたとのことでした。
石田ひかりさんは自然妊娠で2人の女の子を出産
子宮内膜症は自然妊娠が一番の治療法であるといわれており、石田ひかりさんは自然妊娠で2人の女の子を出産したため、この2回の出産で病気はだいぶ良くなったのではないかと思います。
子宮内膜症は、卵管周囲の癒着によって、卵の輸送や捕獲が損なわれるような状況になれば、不妊の原因となり得る病気です。
石田ひかりさんは、その不妊の原因となる前に入院し、しっかりと治療を進めることができたため、不妊の症状を発症せず、2人の子宝に恵まれることができたのだと思います。
現在、妊活を行っている方や、不妊に悩んでいる方で、生理が重かったり、生理痛が酷いという方は一度子宮内膜症の検査を受けてみたほうが良いのではと思います。