ブルック・シールズさんの不妊・妊活情報!【妊活した有名人】
不妊治療を行って流産を経験しながらも第1子を出産したブルック・シールズさん
ブルック・シールズさんは、本名をクリスタ・ブルック・カミール・シールズ(Christa Brooke Camille Shields)といい、1965年5月31日生まれでアメリカ合衆国ニューヨーク州出身の女優・モデルです。
そんなブルック・シールズさんは、結婚・離婚を経験し、不妊治療を行って流産を経験しながらも第1子を出産、しかし、その後に産後うつになってしまうという壮絶な人生を歩んでいます。
ブルック・シールズさんは、元女優の母親と、レブロンの重役で、ローマの銀行家・貴族のトルトニア家の血を引く父親の下に生まれました。
そして、母親のマネジメントにより、アイヴォリー石鹸(Ivory)のモデルにわずか生後11か月の時に起用されます。
その後、両親は離婚してしまいますが、ブルック・シールズさんは、アメリカで一番高額なギャラを得る人気子供モデルとなります。
ブルック・シールズさんの経歴、芸歴は?
ブルック・シールズさんは、1977年にホラー映画である「Alice,Sweet Alice」の主人公の妹役で映画デビューを果たし、1978年のルイ・マル監督の「プリティ・ベビー」では、12歳の娼婦役を演じて大きな話題を呼びました。
1980年の映画「青い珊瑚礁」や1981年の映画「エンドレス・ラブ」等により、世界的に人気を集め、また、20歳の時には「私のライフ・スタイル」というエッセーを出版しています。
ブルック・シールズさんは、プリンストン大学で仏文学を専攻し、1987年に卒業しますが、その学生時代には、俳優のディーン・ケインさんと交際していたそうです。
ブルック・シールズさんは、1997年4月19日に、男子プロテニス選手であるアンドレ・アガシ選手と、4年間の交際を経て結婚しますが、2年後の1999年4月に離婚してしまいます。
ブルック・シールズさんは、アンドレ・アガシ選手との離婚後、テレビ・プロデューサーであるクリス・ヘンチー(Chris Henchy)さんと、2001年4月に再婚します。
また、その頃、ブルック・シールズさんは、「ワンダフル・タウン」というバーンスタインのミュージカルの主演を務めており、好評を博していました。
ブルック・シールズさんは、2003年に長女を出産しましたが、その出産後にうつ症状となってしまい、抗うつ薬であるパキシルを使用したことを公表しました。
しかし、2005年5月にサイエントロジー信者であるトム・クルーズさんがこのことを名指しで批判しました。
このトム・クルーズさんの発言はいわれのない中傷であるため、彼の評判を下げる結果となりましたが、後日にブルック・シールズさんは、トム・クルーズさん自身から謝罪を受け、2人の仲は回復しています。
また、偶然にも、ブルック・シールズさんの二女とトム・クルーズさんの二女は、同日に同じ病院で誕生したそうです。
ブルック・シールズさんは、マイケルジャクソンさんと子供のころからの付き合いなのだそうです。
そのため、マイケルジャクソンさんの追悼会で涙を流しながらスピーチし、また、その姿が全世界に伝えられました。
また、ブルック・シールズさんは親日家であり、多数の日本のテレビCM等に出演し、親しまれてきました。
さらに、フジテレビ系列の番組「新春スターかくし芸大会」で和太鼓の演奏を披露したり、彼女のファンだと公言されていた皇太子徳仁親王とも交流があるそうです。
ちなみに、ブルック・シールズさんの父方の祖父であるフランク・シールズさん(1909年~1975年)は、1930年代前半に活躍して、国際テニス殿堂入りしたほどのテニス選手です。
また、引退後は1930年代後半に3年間ハリウッド俳優としても活動しています。
また、フランク・シールズさんの2番目の妻(ブルック・シールズさんの祖母)の兄にあたる、第5代チヴィテッラ=チェシ公アレッサンドロ・トルロニアさんの妻のベアトリス・デ・ボルボン・イ・バッテンベルグさんは、スペイン国王フアン・カルロス1世の伯母であるので、血縁関係こそ無いもののブルック・シールズさんは、スペイン王家とイギリス王家の遠縁にあたることになります。
そんなブルック・シールズさんは、2回目の結婚後になかなか子宝に恵まれなかったため、不妊治療として体外受精をおこなったそうなのですが、その回数はなんと7回にもなったそうです。
人工授精と違い、体外受精は母体への影響も大きく、さらにその時のブルック・シールズさんの年齢は37歳で高齢であったため、心身への負担は相当なものであったと思われます。
その後、この体外受精の治療を進めていく際に、ブルック・シールズさんは流産も経験したため、精神的なストレスは限界に達していたのでしょう。そのため、めでたく38歳の時に第1子が産まれたのですが、産後うつとなってしまい、自殺を考えるまでに悪化してしまったのです。
しかし、そんなブルック・シールズさんを支えたのは、夫であるクリス・ヘンチーさんであり、この旦那さんの支えによって、ブルック・シールズさんは快方に向かいました。そして、ブルック・シールズさんが40歳の時に、第2子を無事に授かることができたのです。
ブルック・シールズさんのケースを見ると、不妊治療を行う女性を支える存在の大切さを感じます。治療を行っている本人は、やはり余裕は無くなっている状態なので、そのような状況をよく理解し、支えることのできる存在が必要なのだろうと思います。
ブルック・シールズさんはこれまでの人生でいろいろなことがありましたが、2人の子供と、辛い時も支えてくれた旦那さんとともに幸せな家庭を築いていってほしいなと思います。