野田聖子さんの不妊・妊活情報!50歳で超高齢出産。【妊活した有名人】
野田聖子さんは不妊治療として、体外受精を14回、流産を1回経験
野田聖子さんは、自由民主党所属の衆議院議員で、日本の政治家です。現在は、衆議院災害対策特別委員長であり、これまで、岐阜県議会議員、郵政大臣、消費者担当大臣、食品安全担当大臣、科学技術政策担当大臣、自由民主党総務会長等を歴任しています。
そんな野田聖子さんは、40歳から不妊治療を始め、約10年間治療を続けた後、なんと50歳にして出産されました。
野田聖子さんの経歴は?
野田聖子さんは1960年9月3日生まれで、父親の転勤先であった福岡県福岡市に生まれ、聖子(せいこ)と命名されたのは、オリンピックの年にちなんでいるそうです。田園調布雙葉高等学校を中途退学した後、ミシガン州ジョーンズヴィル・ハイスクールを卒業し、1983年に、上智大学外国語学部比較文化学科を卒業しています。
同年、帝国ホテルに入社し、フロント業務等を経た後、国際セールス部員に帝国ホテルの女性従業員で初めて抜擢されています。
1984年、祖母・野田光の死去に伴い、大蔵事務次官、参議院議員、衆議院議員、経済企画庁長官、建設大臣等を歴任した、祖父・野田卯一の養子となり、野田姓を継ぎました。
野田聖子さんは1987年、岐阜県議会議員選挙に自由民主党公認で立候補し、当選を史上最年少で果たします。
1990年の第39回衆議院議員総選挙の旧岐阜1区から立候補しましたが、自民党からの公認を得ることができずに落選しています。
1993年の第40回衆議院議員総選挙に「衆議院にも自民党の女性議員を」との公約を掲げて再び立候補し、初当選すると、自民党内では河本派の新政策研究会に所属しました。
1996年11月に発足した、第2次橋本内閣において郵政政務次官に抜擢。1998年7月発足の小渕内閣では、37歳10ヶ月という、男性含め閣僚史上最年少の若さで郵政大臣に抜擢されました。
1999年には、自民党国会対策副委員長、また、女性初の衆議院議院運営委員会議事進行係に就任し、2000年には、自民党政調副会長、自民党筆頭副幹事長に就任しました。
2001年、野田聖子さん鶴保庸介氏(参議院議員で保守党所属)との事実婚を発表。
ただ、2007年には離別してしまいます。また、主にテレビや女性誌等のマスメディアに、不妊治療をしている国会議員として、何度も取り上げられるようになり、人工授精による受精卵が凍結状態にあることも報じられています。
2005年4月27日、政府提案(閣法)で上程された郵政民営化法案に反対したため、民営化反対派の急先鋒と見なされました。
そのため、同年9月の第44回衆議院議員総選挙では、自民党の公認を得られなかったのですが、小泉首相主導で送り込まれた刺客候補の佐藤ゆかりを退け、5選を果たします。
ただ、同年10月、自民党党紀委員会より野田聖子さんに対して離党勧告が出されたため、自民党を離党しました。
2006年、首相・安倍晋三氏の意向により郵政造反組の復党が検討されたため、野田聖子さんは同年12月に自民党に復党します。
2007年、福田康夫氏が自由民主党総裁に選出され、福田執行部で党広報局長に就任し、これは郵政造反組復権の象徴的な出来事とされました。
2009年8月30日の第45回衆議院議員総選挙において、岐阜1区では柴橋に敗れ落選しましたが、重複立候補していた比例東海ブロックで復活し、6選を果たしています。
2010年5月、野田聖子さんは、アメリカ合衆国にて卵子提供を受けて体外受精を実施
妊娠したことを同年8月下旬に「週刊新潮」における自らの手記で公表しました。
卵子提供に関して、日本では基本的に法律も制度もまだしっかりとは整っていないため、野田聖子さんは有償での卵子提供が認められているアメリカにて卵子提供を受け、体外受精を行ったそうで、この一連の費用は総額で約500万円かかったとのことです。
また、この卵子提供を受けるためにアメリカへ行ったのは、国会開会中の海外医療観察名目だったそうで、私用と公用を混同しているとして批判も受けたようです。
さらに、この卵子提供は、高齢で妊娠を希望する人にとっては、時間というハンディを克服することができる、大変効果的な方法なのですが、その一方で高齢の母体に妊娠を継続させるということは、母体に負担をかけることにもなります。
心臓、腎臓等の全身のさまざまな場所に大仕事をさせることになり、血液量も増大し、分娩時のリスクも高くなります。
野田聖子さんの場合においても、出産時は帝王切開となり、子宮の摘出を余儀なくされるほどの難産になってしまったそうです。
さらに、生まれた赤ちゃんに「食道閉鎖症」、「臍帯ヘルニア」、「心臓疾患」という疾患があり、その後、生後9ヶ月で「脳梗塞」と「呼吸停止」を発症したとのことです。
妊娠すればそれでいいのなら、卵子提供は確かに効果抜群ですが、このように、母体への負担や生まれてくる赤ちゃんへの影響を考えると、卵子提供という方法はおすすめできません。
ただ、野田聖子さんはこのようなリスクをすべて承知の上で、ご自分の強さを信じて決心され、卵子提供という方法を選択されたのだろうと思います。
また、野田聖子さんは不妊治療として、体外受精を14回、流産を1回経験されているようですので、卵子提供という方法が最終手段という思いもあったのではないかと思います。
この卵子提供という方法に関しては、人それぞれ色々な意見があると思いますが、生まれてくる子供に罪はありませんので、野田聖子さんの長男が健康に育っていってくれることを願っています。
少しでも障害の症状が軽くなっていってほしいなと思います。