クルム伊達(伊達公子)さんの不妊・妊活情報!【妊活した有名人】
子宝に恵まれなかったため、夫婦で不妊検査を受診
クルム伊達(伊達公子)さんは、京都府京都市上京区出身の、日本の女子プロテニス選手です。WTAランキング自己最高位は、現行システムでの日本人最高位タイとなるシングルス4位であり、ダブルスは28位です。
また、日本人歴代2位の記録となる、WTAツアー通算8勝(シングルス)を挙げており、ダブルスでも6勝を挙げています。
そんな、クルム伊達さんも、不妊治療を経験されているそうです。
クルム伊達さんは、6歳のときに両親が健康管理のために行っていたテニスに初めてふれました。
滋賀県大津市に転居した後は、京都市山科区の「四ノ宮テニスクラブ」でレッスンを積み、中学校時代には「滋賀県テニス選手権」で優勝しています。
高校時代には、テニスの名門校である兵庫県尼崎市の園田学園高等学校にて、光国彰監督の指導を受け、1988年のインターハイでシングルス、ダブルス、団体優勝の3冠獲得を達成しています。
クルム伊達さんは、高校卒業後の1989年にプロに転向し、同年の「サントリー・ジャパン・オープン」にてETAツアーにデビューします。
また、全仏オープンに出場して、4大大会へのデビューを果たし、予選3試合を勝ち上がり、本戦の2回戦まで進出しました。
さらに、ウインブルドン、全米オープンにおいても本戦まで出場しています。
さらに、女子テニスにおける国別対抗戦である、フェデレーションカップ(現フェドカップ)の日本代表選手にも初めて選ばれ、西ドイツチームとの2回戦での対戦において、ダブルス戦に起用されました。
1990年には全豪オープンで初の4回戦進出を果たし、あ993年には、全米オープンで初の4大大会ベスト8進出を果たします。
1994年1月には、オーストラリアで行われた「ニュー・サウスウェールズ・オープン」で海外初優勝を果たし、日本人の女子テニス選手として、史上初となる世界トップ10に入りました。
直後の全豪オープンで初の4大大会ベスト4進出を果たし、全米オープンにおいても2年連続でベスト8に入りました。1995年2月には、東レ パン・パシフィック・オープン・テニストーナメントで初優勝。
また、この年には、全仏オープンにおいて、日本人初のベスト4進出を達成しています。
さらに、11月に自己最高となる、世界ランキング4位を記録すると、年間最終ランキングもそのまま4位に輝きました。
1996年4月27~28日には、フェドカップが東京・有明コロシアムで開催され、1回戦でドイツと対戦し、女王シュテフィ・グラフを破るという大金星を挙げています。
ただ、1996年7月4~5日にわたったウインブルドンの準決勝では、グラフに敗れ、日本人選手初の4大大会決勝進出はなりませんでした。
そして、同年9月24日に現役引退を宣言しました。引退時の世界ランキングは8位だったとのことです。
クルム伊達さんは、引退後の2001年12月1日、ドイツ人と結婚
クルム伊達さんは、引退後の2001年12月1日、ドイツ人レーシングドライバーのミハエル・クルム氏と結婚し、結婚当初は「クルム公子」としていたそうですが、家庭裁判所に姓の変更を申し出て「クルム伊達公子」となったそうです。
そして、2008年4月6日、現役復帰を決意したことが報じられ、37歳にしてプロ復帰した理由を「世界と戦うためではなく、若い選手へ刺激を与えるため」と語りました。
現在、女子テニス世界ランク100位以内の先週の中でも最年長選手となっています。2番目の年長者はビーナス・ウィリアムズですが、同選手よりもクルム伊達さんは、10歳も年上となっています。
また、オープン化されてから以降の全豪オープン勝利・ウインブルドン3回戦進出の最年長記録、WTAツアーシングルス優勝・全仏オープン勝利のそれぞれの歴代2位の最年長記録を保持しています。
さらに、2010年10月にWTA史上初となる、40歳以上でトップ1の選手に勝利するという記録を残しています。
夫婦で不妊検査を受診。その検査結果は、なんと「不明」
そんなクルム伊達さんは、子供は結婚したらすぐにできるもの、授かるものだと思っていたそうですが、なかなか子宝に恵まれなかったため、夫婦で不妊検査を受診されたそうです。
その検査結果は、なんと「不明」だったそうで、他にも様々な検査を行ったそうですが、不妊の原因を突き止めることはできなかったそうです。
そのため、まずは、オーソドックスな漢方治療等から不妊治療をスタートしたとのことですが、それでも子宝には恵まれませんでした。
その後、人工授精を5回、そして顕微受精も行ったそうですが、それでも妊娠することはなかったとのことです。
その後、クルム伊達さんは、前述の通り、26歳でプロテニスプレーヤーを引退しましたが、37歳で現役復帰しました。
現役復帰するためには、プロフェッショナルとして大変なトレーニングを行う必要があります。
したがって、今までのように身体に負担をかける不妊治療との両立が難しくなったため、クルム伊達さん夫妻は、不妊治療を中止するという大きな決断をしました。
クルム伊達さん自身は、このまま不妊治療を継続するか、プロテニスプレーヤーとして復帰するか迷っていたそうですが、旦那さんの「僕は子供と結婚したのではなく、公子と結婚したんだよ」という言葉で、プロテニスプレーヤーとしての復帰を決めたそうです。
そして、現在でも前述のような素晴らしい結果を残し続けています。ぜひ、このまま活躍を続けていってほしいなと思います。