ジャガー横田さんの不妊・妊活情報!45歳で高齢出産。【妊活した有名人】
43歳の時に医師でリングドクターであった木下博勝さんと結婚
ジャガー横田さんは、1961年7月25日生まれで東京都荒川区出身、日本の女子プロレスラーであり、タレントでもあります。
女子プロレスラーとしての所属団体はディアナで、タレントとしての所属事務所はパーフィットプロダクションです。
そんなジャガー横田さんは、45歳という高齢で元気な男の子を出産しています。
通常は35歳以上での妊娠・出産を高齢出産と定義していますので、45歳での出産というのは本当に奇跡的なことであるといえます。
ジャガー横田の経歴は?
ジャガー横田さんは、4人姉妹の末娘として誕生し、荒川区立尾久西小学校、荒川区立第七中学校卒業しています。
ちなみに小・中学校の後輩に伊集院光さんがおり、ジャガー横田さんと伊集院光さんの兄が同級生です。
ジャガー横田さんは、中学校時代は卓球部に所属しており、卓球で淑徳高等学校に推薦入学が内定していました。
しかし、ジャガー横田さんは家庭の経済的負担を軽くしたかったため、全日本女子プロレス入りを決めます。
ジャガー横田さんは、1977年に女子プロレスラーとしてデビューし、その鬼気迫るファイトスタイルは「女子プロレス界一のストロングスタイル」と評されています。
そして、身長160cmという女子プロレスラーとしては小柄で恵まれない体格でありながら、これまでに第29・31代WWWA世界シングル王者、初代全日本シングル王者等の数々のタイトルを所持しています。
ただ、1986年にケガのため、現役を引退し、コーチに転向。アジャ・コング等の、後にスターになる選手を育成するのですが、プロレス人気が下降していってしまったため、コーチを解任されてしまいます。
1998年12月26日に2度目の現役引退を発表。
1990年代には、吉本興業で企画された女子プロレス軍団である「吉本女子プロレスJd’」に所属し、若手を指導しますが、1998年12月26日に2度目の現役引退を発表。
ただ、その発表後も、同団体で2000年までコーチを務めていました。
2011年10月に、ディアナに入団を発表し、コーチ業を兼任しながらスポット参戦という形をとっています。
そして、現在では、ジャガー横田さんは現役最古参の女子プロレスラーとして各女子プロレス団体のリングに上がり続けています。
また、各団体の後輩の指導にも、フリーの立場であたっています。
2015年6月28日には、VOODOO-MURDERSへ加入し、その際マイクで「私は今のプロレス界の若手に不満だ。ちょっと痛ければ休む。辛ければ休む。そんなのやってたら若手が成長しない。38年目にして生まれ変わる。」と発言し、新ユニットCRYSISを堀田裕美子さんやジェニー・ローズさんを勧誘して結成しています。
そんなジャガー横田さんは、43歳の時に医師でリングドクターであった木下博勝さんと結婚されました。
ジャガー横田さんは、長い間プロレスラーという職業を続けていたということもあり、自身の体力には自信をもっていたようなのですが、結婚後1年たっても妊娠の兆しがなかったので、不妊検査を受けることにしたとのことです。
すると、子宮に直径10cmもの子宮筋腫があり、不妊の原因となっていることが判明しました。
医師からは、「このままでは妊娠の可能性はゼロ。手術で筋腫を切除しても妊娠する可能性は3~4%です。」と言われてしまったそうですが、ジャガー横田さんはどうしても子供が欲しいと思っていたため、不妊治療を受け、子供を妊娠するための取り組みを開始します。
子宮筋腫の治療をしながら、主に体外受精の不妊治療をメインに進めていた
ジャガー横田さんは、子宮筋腫の治療をしながら、主に体外受精の不妊治療をメインに進めていたそうですが、医師から告げられた体外受精のチャンスは3回のみだったそうです。
1回目の体外受精においては、妊娠はしたものの、残念ながら流産してしまい、この時ばかりは屈強なプロレスラーというイメージが強いジャガー横田さんも、「無理かもしれない」と泣いて辛い思いをされたそうです。
このような辛い流産を乗り越えたジャガー横田さん。
今までの不妊治療を見直し、身体への負担を心配しすぎて、過度に色々なものを節制していたことが、逆に大きなストレスになっていたことに気づき、過度に節制しすぎないように気をつけたそうです。
そのような自然妊娠するための努力を次の排卵日まで続けた結果、体外受精ではなく、自然妊娠を44歳という高齢で達成したのです。
高齢や子宮筋腫等、ジャガー横田さんを取り巻く様々な状況から、自然妊娠は不可能とさえ言われていました。
そのため、このように自然妊娠に至ったという事は本当に奇跡的であり、困難にもめげずに、ジャガー横田さんが努力を続けた結果だと思います。
ただ、ジャガー横田さんは、出産の際にも苦労をされたようです。
1人目の子供は「逆子」の状態であったため、一般的に「逆子」が出産直前まで正常な向きにならなかった場合は帝王切開で出産するのですが、ジャガー横田さんは、帝王切開を断り、自然分娩を選んだそうです。
ただ、陣痛開始から25時間経過しても子宮口が開かなかったため、陣痛促進剤を使用し、最終的には人口被膜をして出産に至ったのですが、出産までの時間は約36時間もかかったそうです。
ただ、このように45歳でも、自然妊娠・出産が可能だということをジャガー横田さんは証明してくれたため、同じように高齢で不妊症に悩む方に大きな希望と勇気を与えたと思います。