益子直美さんの不妊・妊活情報!晩婚。45歳での断念。【妊活した有名人】
益子直美さんも実は不妊治療をされていたとのことです。
益子直美さんは、元バレーボール日本代表選手であり、東京都葛飾区出身で、日本のタレント・スポーツキャスターです。
バレーボール選手を引退後、情報番組を中心にさまざまなタレント活動をされていました。そんな益子直美さんも実は不妊治療をされていたとのことです。
益子直美さんの経歴
益子直美さんは、1966年5月20日生まれで、テレビアニメ「アタックNo.1」の影響を受け、地元の金町中学校に入学すると同時にバレーボールを始めます。
中学2年生の時に葛飾区大会で優勝し、3年生の時には東京都選抜に選ばれ、チームでは主将を務めていました。
1982年に、地元の共栄学園高等学校に進学し、1984年の第15回春高バレーでは、八王子実践高等学校の当時の連勝記録を、ジャンピング・ドライブサーブとバックアタックを武器に106で止め、同大会においても準優勝を果たします。
同年、バレーボール全日本代表メンバーに高校3年生で選ばれました。日本代表では、ニックネームは「下町のマコちゃん」と呼ばれていて、大林素子さん達と共に1980年代後半~1990年代前半の女子バレーボール界を引っ張っていく存在となっていきます。
1985年に、益子直美さんは、イトーヨーカドー女子バレーボール部に入団し、1990年には、斎藤真由美さん達と共に、第23回日本リーグで念願の初優勝を果たします。
また、1991年にはチームの主将も務めています。
その後も、バレーボール全日本代表メンバーに選ばれ、活躍しますが、最後までオリンピックに出場することはできませんでした。
そして、益子直美さんは、1992年に現役選手を引退します。
引退後、テレビにおいて、バルセロナオリンピックの出場選手の事前合宿レポートを務め、イトーヨーカドーではアシスタントコーチを務めていましたが、1993年に退社し、タレントに転身します。
1996年には、テレビ朝日のアトランタオリンピック関連のメインキャスターを務めたり、NHKの「トップランナー」の司会をアーティストの大江千里とともに長きにわたって務める等、幅広い芸能活動をこなしています。
2006年12月5日に、益子直美さんは、自身より12歳年下である自転車ロードレーサーの山本雅道さんと結婚したことを、自身のホームページ上で報告しました。
2015年9月17日には、淑徳大学千葉キャンパスにて同大学バレーボール部監督就任契約の調印式を行い、同年の10月から就任しています。
益子直美さんは40歳という年齢で結婚されたため、かなりの晩婚となっています。
高齢出産は35歳以上での出産と定義づけされていますので、40歳で結婚し、その後、妊娠・出産を望むというのは年齢的には既にかなり厳しいものがあります。
そのため、益子直美さんのように晩婚で、妊娠・出産を望まれるという方は、結婚した時点やそれ以前でもいいので、早い段階で産婦人科を受診することが望ましいとされています。
しかし、益子直美さんは、自分がスポーツをしていたため、健康的な身体となっているはずだという思い込みがあったため、子供は自然にできると思い、産婦人科に通院はしていなかったそうです。
その後、なかなか子宝に恵まれなかったため、自然妊娠では厳しいと判断し、42歳で不妊治療を開始されたとのことです。
やはり40歳という高齢での自然妊娠・出産は難しいということだろうと思います。
ただ、益子直美さんの場合は、子宮を検査すると、ポリープの他に膿腫、筋腫、内膜症が発見されたので、不妊治療を開始するといってもすぐに始めることはできず、不妊治療のための身体のコンディションを整えるために、3ヶ月も時間がかかってしまったそうです。
益子直美さんは、普段からちゃんと婦人科系の検査を受けるようにしていれば、と貴重な時間を無駄にしてしまったことを後悔されていたそうです。
顕微授精という一番レベルの高い治療から開始したそうです。
その後、不妊治療が始まりましたが、年齢的に高齢ということもあったたため、顕微授精という一番レベルの高い治療から開始したそうです。
毎日、自己注射をし、薬を飲むの繰り返しで体調も悪く、寝込むことも多かったそうで、正直、仕事どころではなかったそうなのですが、顕微授精の治療費が1回に約50~60万円ほどと高額なため、仕事を完璧に辞めるということはできなかったんだそうです。
また、不妊治療を行っている時に、家族や友達が心配して励ましてくれたり、いろいろな情報を教えてくれたりしても、「不妊治療の辛さがわからない人に言われたくない」と思ってしまって、自己嫌悪に陥るということもあったそうです。
自分では良かれと思って言っていることでも、実はすごく人を傷つけているということもあるので、自分自身も言動には気をつけなければと思いました。
45歳の誕生日に不妊治療を断念するという決断をされました。
こうして不妊治療で変辛い思いを経験し、なかなか子宝という結果も出なかった益子直美さんは、45歳の誕生日に不妊治療を断念するという決断をされました。
益子直美さんは、自身のブログやTV出演等で自身の不妊治療の経験を告白し、同じように不妊に悩む方々に自身の経験や反省を生かしてほしいと語っています。
そんな益子直美さんの思いが、妊娠を望んでいる多くの女性に届けばいいなと思います。