ダイアモンドユカイさんの不妊・妊活情報!乏精子症で・・・【妊活した有名人】
テレビで自らの不妊を告白し、ニュースにもなったダイアモンドユカイさん
ダイアモンドユカイさんは、本名は田所 豊(たどころ ゆたか)といい、日本の俳優・ロックシンガーです。
現在では、子供を授かり、幸せな家庭を築いているダイアモンドユカイさんですが、テレビで自らの不妊を告白し、ニュースにもなりました。
男性の不妊は、現在においても、まだまだ情報が少ない状況ですが、そんな中で大きく情報を開示し、その認知を広めた方といって良いと思います。
ダイアモンドユカイさんの経歴、芸歴は?
ダイアモンドユカイさんは東京都出身で、現在はさいたま市立大砂土中学校となっている大宮市立大砂土中学校を卒業後、専修大学附属高等学校に進学。
同校卒業後は、専修大学法学部に進みますが、中退しています。
その後、1986年10月にロックバンド「RED WARRIORS」(レッド・ウォーリアーズ)のボーカルとしてデビューし、翌年の1987年には、ハリウッド映画「TOKYO-POP」にて俳優としてもデビューしており、カンヌ国際映画祭にも出席しています。
1989年に「RED WARRIORS」は解散してしまいますが、ダイアモンドユカイさんは、期間限定プロジェクト・YUTAKA&LITTLE WINGにて活動を続けます。
1990年には、「I’M THE BEST -世界の女は俺のもの-」にてソロデビューを果たし、武道館でソロデビューLIVEを行います。
その後、多彩なゲストミュージシャンを迎え、10年間にわたって「ユカイなクリスマス」LIVEを毎年行うようになります。
1996年には「RED WARRIORS」を再結成するのですが、翌年の1997年に活動を休止してしまいます。
元アイドルグループ・CoCoの三浦理恵子さんと結婚するも・・・
1997年11月に、ダイアモンドユカイさんは、元アイドルグループ・CoCoの三浦理恵子さんと結婚しますが、2001年11月には離婚してしまいます。
1999年には、「RED WARRIORS」が再び再結成し、オリジナルアルバム2枚等をリリースして完全復活と思われましたが、2003年に再び活動を休止してしまいます。
俳優業においては、2004年、映画「ロスト・イン・トランスレーション」(ソフィア・コッポラ監督)にて、再びハリウッド映画に出演しています。
ダイアモンドユカイさんは、その後、2009年2月7日放送の「踊る!さんま御殿!!」において、「タンポポのような女性」と表現した女性との再婚を発表します。
2010年2月には、待望の第1子である女児が生まれ、「新菜(ニーナ)」と名付け、ブログで47歳にして父親になったことを公表します。
また、この年、自身の無精子症による長期の不妊治療の末に授かった娘への想いを込めたミニアルバムである「Niina」を発表しています。
2011年6月には、自分が無精子症であり、体外受精の末に子供を授かったこと等を公表します。
同年11月2日午前、11月1日に双子の男児が生まれたことを自身のブログで報告。
同日午後に記者会見を開き、長男を「頼音(ライオン)」、次男「匠音(ショーン)」と名付けたことを発表しました。
ダイアモンドユカイさんの無精子症が発覚したのは、奥さんの不妊検査に付き添いで行った病院で検査を勧められて、検査を受けた時でした。
奥さんは検査の結果、健康体であり、ダイアモンドユカイさんは、「無精子症です。」と宣告されたそうです。
まさか自分の方に不妊の原因があるとは思っていなかったダイアモンドユカイさんは、酷くショックを受け、2~3日口をきけない状態に陥ってしまったとのことです。
しかし、そういうどん底の状態を経て、不妊治療への理解を深めていき、2011年6月に、前述の通り、自身が無精子症であることを公表します。
これは同年に発生した東日本大震災を通して命の尊さを実感したということの影響が大きく、「自分と同じ不妊治療で悩む人がいるなら、少しでも力になれれば」と思ったからだそうです。
ダイアモンドユカイさんは、自分で不妊治療を経験することで女性の不妊治療の精神的、肉体的苦痛の大きさを知り、自分のせいで苦痛を強いられている奥さんに対して感謝と申し訳ないという気持ちが自然と生まれてきたそうです。
そうやって続けていた不妊治療ですが2回失敗してしまいます。
そのため、一時期はお互いに子供のいない2人だけの生活も考えようと、しばらく落ち着いて旅行等にいっていたこともあったとのことです。
ただ、ある時、奥さんが「もう一度挑戦させてほしい」と言ったため、どうせ治療を再開するのだったら、男性不妊の第一人者のところで行おうと、北九州の病院を訪ねたそうです。
そして、その病院での3回目の治療で、女の子を授かり、4回目の治療で双子の男の子を授かって、ダイアモンドユカイさんは今や立派な3時のパパとなりました。
ダイアモンドユカイさんのケースでは、奥さんの付き添いで行った検査によって、自身の不妊が早期発見でき、早めに不妊治療を行っていくことができたのが、良い結果につながった要因かもしれません。
子供の問題は夫婦二人のものであると捉え、不妊の問題については、夫婦できちんと向き合って取り組んでいかないといけないのだと思います。